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「大丈夫ですか? ……生きてます?」
 その声に目を覚ます。体が重い。どこか自分の体に異常でも?と思ったが、そうではなく、
単純に昨晩降った雪が体に積もったようだ。
「あのぅ……もし?」
 返事をするかわりに立ち上がる。ぼさぼさと音を立てて、体から雪が落ちる。四肢の反応が
鈍い。単純に関節が凍ってるのかとも思ったが……そうではないみたいだ。
「うわぁっ、ビ、ビックリしたぁ……よかったぁ、生きていたみたいね」
 そこでようやく声の主を見る。柔和な顔立ちで、どこか抜けていそうな顔。そして体の大き
い、私と同じくらい……いや、私よりも少し若い女性だ。
 雪はいつのまにか止んでいて、太陽の光を反射した雪がキラキラと光っていた。
「あの、そんなとこで寝ていたら死んでしまいますよ?」
 女性は心配そうにこちらの顔を覗き込んでくる。フードをとり、そちらの方に目をやる。
「……大丈夫です。この程度の寒さなら死ぬことはありません」
 私の顔を見ると、なにか彼女は驚いたようだった。
「えっ―――あ……そんなことないわよ? 比較的暖かい時期だけど、夜は油断は禁物よ。
うちの三軒隣の酒乱のおじさんは三日前に酒飲んで、道端で眠りこけて、朝見つかった時には
死んでたって話よ」
 三日前。そんなに寒かった記憶はない。が、この地方は特別冷えたのかもしれない。
「…今度から気をつけます。起こしてくださってありがとうございます」
 そのまま去ろうとしたが、彼女が慌てて止めてくる。
「ちょっと待って。どう? うちで何か暖かいものでも飲んでいかない? 体、冷えてるでしょ」
「……いえ、お気になさらず」
 特に断る理由もなかったが、あまり私と関わるとロクなことがない。
「遠慮なんかしない! 大丈夫よ、うち今は私一人みたいなものだし、すぐ近くだから!」
 …なにがどう大丈夫なのか全然わからない。けれど、そこまで誘われてしまっては、やはり
無理に断る理由も特にない。結局断るのが面倒になった私は、
「わかりました。では、お邪魔させていただきます」
 と面倒に答える。

  
 彼女の家は街のはずれで、私が寝ていた場所からは本当にすぐ近くだった。
 家に着くと彼女は手に持っていた薪を下ろし――これを取りに森にある知り合いの所有して
いる小屋から、帰ろうとしたところで私を発見したらしい――すぐに暖炉に火を灯した。
「こっちで暖まって」
 言われた通りに暖炉の近くに寄る。マントを火の近くに置いて、乾かす。荷物も降ろして最
後に自分が腰を降ろす。
「一緒に朝食もどう? たいしたものないけどね」
 いたれりつくせりだ。どうせならよばれていこう。
「はいはい♪ すぐに用意するから!」
 鼻歌交じりで用意を始める。そんな彼女を見て気づく。彼女はコートの下に赤ん坊を背負っ
ていたのだ。
 彼女は本当に優しそうな顔で赤ん坊をベッドに寝かせる。
「子供、さん…ですか?」
「ええ、そうよ。可愛いでしょ? まだ生まれたばかりなの」
 確かにまだ凄く小さい。生まれてまだ数ヶ月といったところだろうか。そんな赤ん坊を見る
彼女はすごく幸せそうだ。
 待てよ。先ほど彼女は一人暮らしと言ってなかったか?
「それにしても貴女、女の人だったのねぇ。男の子だと思って声を掛けたら、フードの下から
とびきりの美人が出てくるんだもの。驚いちゃったわよ」
「あの……旦那さんは?」
 気がつけばそんな愚かしいことを聞いていた。
「え? あー……この子ができた、って言ったらどっか言っちゃったわ」
 そう言ってペロっと小さく舌を出す。小さな失敗程度のリアクションにみえるけれど。
「……聞かれたくない質問でしたね。すいません。好奇心です」
 少し考えればわかるだろうに。
 戦いのみで生きてきた私だ。恋程度は経験があるけれど、子供だのそういう深い問題はいま
いち理解できない。が、やはり聞いていい質問ではなかっただろう。
「仕方ないのよ、男の見る目がなかったの」
「そうです、か……」
 しまった。自分で聞いておいて、どんな顔をして答えればいいかわからない。
「あなたは一人旅?」
 ここで無視、というのもあるが、さすがにこっちはあんな質問を自分はしておいて、そっち
の質問は無視というわけにもいくまい。
「……ええ。一人旅はここ10年ほど」
「あら、随分長い間旅してるのね」
 彼女は聞きながらも、慣れた手つきで準備をしていく。
「はい、どうしても殺したい相手がいますので」
 さすがにピタと動きが止まる。
「そ、それは物騒な話ね」
「ええ。物騒な話です」
 暖炉の火を見ながら、自分の憎悪を思い出す。憎悪に反応して四肢が安心するように軋む。
ゆっくりと自分の体の感覚を確かめる。
「まぁ、なんてことはない理由です。村の人を、家族を、大切な人を殺されたという……そんな
どこにでもある理由から、とある男を追っているんです」
 口に出すことで自分の耳に聞かせる。そうだ。忘れてはならない。私の憎しみを。
「そ、そう……。でも、10年て……あれ、貴女今いくつ?」
「25です」
「え、えええええええっ!?」
 すっかり、彼女の手を止めてしまったようだ。
「驚いたぁ。私とそう変わらないと思っていたのに、随分上なのねぇ」
「おいくつなんですか?」
「私は今年で21よ」
 まぁ、そのくらいか。見た目の年齢は私とそう変わらない。私は見た目は19の時から固定
されている。彼女がそう思うのも無理もない。説明するとややこしいので黙っておくが。
「てことは15歳くらいから旅をしているの? たくましいわねぇ」
「あぁ、いえ。旅自体はもう少し幼い頃からです。一緒に旅をしていた人も、私たちが追って
いる男に殺されてしまったので」
「あ…そう、なんだ……」
 そう、兄であり、私の最愛の人。あぁ、やはり兄のことを思い出すと体が充実していくのが
わかる。今なら石を握り潰すことも容易そうだ。思うのと、口に出すのとでは全然違うのだな。
ここまで体がみなぎって来るのは久しぶりだ。
「あ、スープこげちゃう…」
 彼女はなんとかこの話題を終わらせたいみたいだ。私としてはもう少し続けて、憎悪の火を
大きくたぎらせたいのだが。まぁ、今は他人の家だ。この辺にしておこう。
「可愛いですね、赤ちゃん」
 随分とおとなしく寝ている。赤ん坊といったら寝ているか、泣いているかだ。
「あ…う、うん! 可愛いでしょ!? クソ旦那に似なくてよかったぁーって思ってるの」
 その旦那さんを見たことがないのでなんとも言えないが、確かにさらっと見る限りは、彼女
によく似ていると思う。
「撫でても?」
「もちろんいいわよ♪」
 すぅっと触ってみる。産毛が気持ちいい。やはりこんな私でも女なのだろう。母性本能がく
すぐられ、自分も子供が欲しいなどと思ってしまう。…もちろん無理な話だが。
 しかし、そんな穏やか自分に驚く。体はまた、反応が鈍くなり始めている。
 一番酷いときは兄を思い出すだけでも、気分は荒み、体は高揚し、その状態が三日は続くと
いうことすら珍しくなかったのに。物や人に当り散らし、誰に何を言われても無視。そんな自
分が嫌になりつつも、そんな自分にしたあの男へ、憎悪の火を燃やし…という悪循環を続けて
いたのに。
 それが今では赤ん坊一人の寝顔であっさりと収まってしまう。
 そんな自分に酷く悲しくなる。私はそう遠くないうちに諦めてしまうのではないか? この
憎悪で動く体を捨てて、元の肉体へ戻ろう、と旅をやめ、帰ってしまうのではないか?
 そして、そうなる可能性もあるのか…と思ってしまう自分が怖い。
「どうしたの?……やっぱりさっきの話、嫌だった?」
 彼女が手にスープを持ち、こちらの顔をうかがっていた。私は、泣いていたらしい。
「……いえ。そうじゃありません……あぁ、やはりそうかもしれませんね……」
「ごめんなさい……私、軽率だったわね」
「いいんです。私も軽率なことを聞きましたし。それにそういう意味ではなく、先ほどの話を
しておいて、こんな心穏やかな自分に悲しくなったというか」
 彼女はどんな顔をしていいのかわからないのだろう。とにかく私を座らせて、スープを勧め
る。
「そんなに大したものじゃないけれどね」
「いえ、暖かくておいしいです…」
 そして、しばらく静かにスープを飲む。暖かいコーヒーを飲む。暖かい。安堵が体を包む。
「憎しみが消えるのが怖いの?」
「……はい。昔は思い出すだけで、気が狂いそうになるほどの激情が渦巻いていたんですけど、
今は…簡単に消えてしまうんです」
「……それはいい傾向、と言ってしまうのは貴女の立場じゃないからかしら?」
「…いえ、それが世間の一般の感想でしょう」
「そうね。普通は人を憎む旅なんかやめて、故郷に帰って幸せになりなさい、って言うんで
しょうね」
 ゆっくりとコーヒーを飲む。落ち着いているな、私。
「もう何度言われたかわからなくなるほどの言葉ですね。昔――というほど前のことではない
と思いますけど――そんなことを言われたら、貴女に私のことなどわからないでしょうね、と
席を立ち、機嫌が悪くなり、貴女を睨みつけて出ていったでしょうね」
「……人を憎み続けるっていうのは難しいからね。私も…あの子の父親があっさりと姿を消し
たときは、殺しにいってやる、って思ったくらい憎んだわ。…貴女の憎しみとは比べるほどで
はないでしょうけど」
「いえ。憎しみの大小を比べるのなんて虚しいだけです」
 人が人を憎む理由など、その人個人だけのものだ。それを他人がどうこう言えるものじゃな
い。そう、わかってはいるのだ。
「…けれど、すっごく怒って、憎んで、泣いて、放心して。ゴハンも喉を通らなくて、気を失
うように寝て……そんなことを繰り返すうちに、疲れちゃった。怒ることも、憎むことも、
ね」
 正直、今の私には――わかってしまう……。
「ある日、それまでが嘘のように元気が出たの。朝からゴハンをモリモリ食べて。どんなこと
でも、よぉしやってやるぞぉ!ってね。それからは頑張ったわ。色んな人の助けが必要だった
けれど」
「そう、ですか……」
「あ。なんかお説教みたい?」
「ええ、そう聞こえますね」
 こういう人にはよくあるパターンだ。別に怒るほどのことじゃない。
「あぁ、うん……まぁ、でも人間てそういう風にできているのよ」
 そうかもしれない。そして、そうすることが正しいんだろう、というのも理解できる。月並
みな言葉だが、憎しみは連鎖する。どこで止めなくては。
「不思議ですね。今はそれも一つの道だ、とどこかで思ってしまう……それが悲しい。…そし
て、いつかその『悲しい』と思うことすら消えてしまいそうで……それが……」
 たまらなく怖いのだ。
 そのとき、ふと彼女が私の頭を撫でる。
「貴女、疲れているのよ。きっと。色々なことに」
 そう、かもしれない。体も重い。
「どう、しばらくここで休んでいかない?」
 久しぶりに頭を誰かに撫でられ、そして彼女の言葉に弱っていたのも事実だ。
「……いいんですか?」
 だから、そんな風に甘えてしまう。
「もちろんよ。私はカズサ。カズサ・マーカ。よろしくね」
「あ、はい。私はミリナです。ミリナ・ムラマサ」
「ムラマサって…ずいぶん変わった苗字ね。まぁいいか。このコは私と一文字違いで、アズサ
よ。よろちくね〜」
 そういって、寝ている赤ん坊の手を軽く私にむかって降る。
「アズサ……」
 それはかつての私の苗字。私の大切な家族の名前。
「アズサくん、よろしくね……」


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